こちらの記事では
- 筋トレの何が楽しいの?スポーツでもした方が良くない?
- ボディビルダーでもないのに体を鍛える意味がわからない
といった疑問について解説しています。
私自身も筋トレを始める前は上記のような考えを持っていましたが、今では筋トレの無い生活は考えられないと思えるほど筋トレにのめり込むようになり、筋トレのおかげで引きこもりをやめ、こうしてブログで筋トレについての記事を投稿するまでに至りました。
今回はそんな私の体験談を基に筋トレが楽しいと感じる理由をご紹介します。この記事を見て少しでも筋トレに興味を持っていただけたら幸いです。
最初はできなかった筋トレができるようになるのが楽しい
筋トレを始めてからまず最初にその楽しさを実感したのは、それまでまともに成功しなかった筋トレ種目が初めて綺麗にできた瞬間でした。
その中でも1回も出来なかった懸垂がスイスイと上がり始めた時期は本当にテンションが上がってしまって、その頃には筋トレ前に憂鬱な気分になることもなくなっていました。
と言ってもその時点ではまだ体の見た目自体は全くと言っていいほど変わっておらず、精神的にも筋トレをやめてしまう寸前でした。
だからこそ、0→1=何かが変わり始めているという事実は「筋トレなんて続けていても無意味なんじゃないか?」と考え始めていた私にとって何よりの励みになりました。
「出来なかったことが出来るようになる達成感」は筋トレでしか得られない訳ではありませんが、それまでろくな運動経験がなかった私にとって、肉体改造を伴う成長というのはそれまで味わったことのない独特な達成感だったんです。
やった分だけ結果は返ってくる
そもそも私が筋トレを始めたのは「カッコいい体になりたい」というシンプルな理由でしたが、素人がいきなり始めた筋トレで見た目にわかる変化が訪れるのは何ヶ月も先の話です。
知識のない私は「必死に汗をかいてやりたくもないことをやってるのに、何も得るものがない・・・」と感じ、1ヶ月もした頃には早くも挫折寸前まで追い込まれていました。
そんな風に「そろそろ限界かな・・・」などと考えていたある日のこと、いつも通り懸垂に挑戦してみたところ嘘のように体がフワッと浮き上がり、アゴが懸垂バーの高さを超えていました。
懸垂器を購入した初日の時点で想像以上のキツさに絶句したものの「こんな邪魔くさい物を買ったんだから、一回も出来ないまま諦めてたまるか」という思いだけで懸垂を続けていた私にとって、それは十分すぎる成果でした。
それまでたった1回の懸垂をするために続けていた死ぬほど地味でつまらない筋トレ方法も、急に価値のあるものに思えて仕方がなかったです。
※下記gifが実際にやっていた超初心者向けの懸垂トレーニング「ジャンププルアップ」です。ジャンプした勢いでアゴをバーの上まで上げた後ゆっくりと地面に降りるというもので、あまりにも地味すぎて達成感もないので、それまではずっと半信半疑で続けていました。
ほぼ諦めかけていた私の気持ちとは裏腹に、体は着実に成長していたということにそこで初めて気がつきました。
こうして、先が見えない中でも自分の選択を信じて継続し結果を出すという筋トレの醍醐味を知ってしまった私にとって、もはや筋トレはただの「手段」ではなくなっていました。
「あと一回、あと一回」と自分を追い込むのが癖になり、トレーニングの度に前回の最大記録を塗り替えようと必死になりました。
それからは筋トレ初心者特有のボーナスタイムに突入したこともあり、やればやるほど筋肉の成長を実感することができました。
あれ程苦手だった懸垂も今では20回は出来るようになり、より成長の効率を求めた結果、腰に重りをぶら下げて懸垂をするという昔の自分からは1ミリも想像できない筋トレ愛好家になってしまいました。
筋トレが手段から目標になる
筋トレを始めたばかりの頃は筋肉を育てるということの具体的なイメージが湧かないものです。
しかし最初の壁さえ超えて1回でも明確な変化を感じることができれば、やった分だけ結果は返ってくるという当たり前だけど一番大切なことに気付けます。
そこにはやった分以上の結果を得ることもないというシビアな現実も含まれていますが、だからこそ満足のいく結果を得られた時の喜びはかけがえのないものとなるはずです。
そしてその喜びというのは、体の見た目を変えることだけではなく、懸垂の回数を増やしたり、腕立て伏せの回数を増やしたりなど、筋トレそのものからでも得ることが出来ます。
そのことに気づいてしまった時、もはや筋トレは体の見た目を変えるための作業ではなくなり、自分の限界を越えるための目標となり、苦しさと同じくらいに楽しさを感じられるものとなっているはずです。
筋トレの効果が見た目に表れるのが楽しい
もはやカッコいい体になるという本来の目的を半分忘れて筋トレに励んでいた私でしたが、懸垂などの回数が増えるごとに体の見た目にも変化が表れ始めました。
それに気づいたのは、とある日に母からかけられた言葉がキッカケでした。
「なんかあんた背伸びてない?あと肩幅が変!」
自分の体の変化は自分が一番わかっているつもりでしたが、体幹が鍛えられたことによって姿勢が良くなり、肩周りが鍛えられたことでTシャツが軽く突っ張るほどの筋肥大が起こっていました。
気分が良くなった私はその場で「割と筋トレ続けてるからね」と、筋トレをするようになってから初めて母の目の前でTシャツを脱いで見せました。
すると「うわーなにその体!キモーい!何やってんのー!」と爆笑されてしまいました。
その時の体と筋トレ開始前の身体を比較したビフォーアフター画像がこちらです。
こうして写真を並べれば分かりやすいですが、母に指摘された瞬間の私自身は「そこまで驚くほど変わったのかな?」というのが正直な気持ちでした。
どうやら毎日嫌でも目に付く自分の体というのは、意外と自分自身が一番変化に気づきにくかったりするようでした。
筋トレを始めた初期に「定期的に写真を撮っておくと、後から見返した時に変化がはっきりとわかってモチベーションに繋がるよ」という話を聞き実践していた私は、それまで撮影していた写真を改めて見返してみました。
すると、筋肉が増えたことはもちろんですが健康的な食生活のおかげで脂肪が減ったこともあり、肩がわずかな丸みを帯び、ウエストが絞られることで逆三角形のシルエットに近づいているのが分かりました。
正直、この程度では服を着ていると、筋トレをしていない人との見た目に違いはありませんが、とりあえず母を爆笑させるくらいの変化はあったという事実は、私の筋トレに対するモチベーションをさらに上げてくれました。
それからの私は「腹のど真ん中から血管浮き出てきた!」「なんか背中から腋にかけてモリモリしてきた!」「筋肉ルーレットやってみたら意外と出来た!」など、鏡を見ては小さな変化を見つけるのが楽しみになっていました。
自分を好きになるということ
側から見ると完全にただのナルシストですが、実際、筋トレが楽しいという人は自意識過剰な人が多いのかもしれません。
理想の体型になりたいという思い>>>筋トレの辛さという式が成立する自分への関心が高い人でなければ、筋トレに意味を見出すことは難しいでしょう。
しかし、私は筋トレを通して自分への関心を強く持つことは決して悪いことだとは思いません。
世間では筋トレが趣味というと役にも立たない筋肉に酔いしれてるナルシスト扱いをされることがありますが、それは誰もが当たり前のようにやっている服装や髪型を整えることとなんら変わりないのではないでしょうか。
オシャレな洋服や靴というのは必ずしも生活に必要な訳ではないのに、多くの人々がお金を使ってまだ使えるであろう服を買い替えていると思います。
髪の毛にこだわりのある人は、日々の手入れを欠かさず行い、お気に入りの美容院へと通い、何の合理性もない髪型を維持している人もいると思います。
このような人々も、ふと鏡を見た瞬間に映る自分を見て気分を高揚させ、日々を生きる活力としているのではないでしょうか。
そこに筋肉も洋服も髪型も大きな違いはないはずであり、スポーツ選手・ボディビルダーでもないのにという言葉を付け足して筋トレだけをことさらに否定するのは勿体無い気がします。
もしもこの記事を読んでいる方の中に「一般人が体を鍛えたって仕方ないでしょ」と考えている方がいたら、まずは筋トレは一部の物好きがやるものという固定概念を捨て、生活を彩るオシャレの一部だとでも気楽に考えて、筋トレを始めてみてもらえたら嬉しく思います。
筋肉やトレーニングについて詳しくなるのが楽しい
筋トレの強度や回数が上がりその効果を体で実感出来るようになった私は、より効果のある筋トレ方法や筋肉に関する有益な情報をネットで漁りまくるようになりました。
筋トレを始める以前は見向きもしていなかったyoutubeチャンネルなどがやたらと目につくようになり、気づけばyoutubeのオススメ動画はムキムキの男達で埋め尽くされてしまいました。
しかし、自分なんかでは足元にも及ばない筋トレマスターの存在は、私の筋トレに対するモチベーションを一層引き上げてくれました。
そうして自分なりに学んでいくつにつれて分かったのは、筋トレは想像以上に奥の深い世界だということでした。
それまでがむしゃらに食べて鍛えるということだけをしていた私にとって、筋トレや筋肉のあらゆる仕組みを論理的に解説し、その根拠としてバキバキの体を見せつけるマッチョの存在は、私の中の常識をことごとく覆していったのです。
おすすめの食事メニュを検索すれば、とんでもない体格のマッチョが私の半分程度の食事量を公開していたり、オススメの筋トレメニューを検索すれば私が15kg程度の重量で行っている筋トレを10kgで行っているボディービルダーがいたりと、マッチョの世界というのは知れば知るほどに驚きの連続でした。
また内容の意外性もそうですが、さらに興味深かったのが全員マッチョなのに言っていることが全員微妙に違ったりすることでした。
あるマッチョが「この種目は重量よりも回数が重要」と主張するのに対し、「この種目は回数よりも重量を伸ばすのが大事」と話すマッチョがいれば、「そもそもそんな種目はやる必要がない」などと豪語するマッチョも存在し、素人に毛が生えた程度の初級者である私には到底理解の及ばない世界がそこにありました。
脳筋は褒め言葉
しかし、そんな私でも得た知識を自分なりに実践していく内に、実体験を通してその効果を感じることが出来ました。
適切な食事量・食事のタイミング・内容を見直すことでトレーニングの質は上がり、管理された食事は不安定だった体重の増減ペースを安定させることに成功。
効かせることを意識した筋トレは、最低限の重量で最大限の効果を発揮させ、いくらやっても筋肉痛がこなかった私の腕を的確に刺激し、最大重量を増やしてくれました。
このように、気合だけじゃなく知識によって体をコントロールするという経験は、筋トレには単に体を動かすだけではない奥深さがあるということを教えてくれました。
筋肉モリモリの人を揶揄する「脳筋(脳みそまで筋肉の略)」という言葉がありますが、私は筋トレを始めてからというものの、屈強なマッチョ達に並々ならぬ知性を感じずにはいられなくなってしまいました…。
肉体だけではなく精神にも変化があるのが楽しい
私が筋トレを始めたのはカッコいい身体になりたいという一心からでしたが、筋トレによって得られた最大のメリットというのは、多少マシな体型を手に入れたことよりも、目標に向かって努力を積み重ねていく辛抱強さが身についたことだと考えています。
昔から飽き性で諦め癖のある性格だった私は「人生で一度は引き締まった体になってみたいよなぁ」と考えながら、中途半端にダイエットや筋トレを始めては失敗するということを繰り返していました。
何をするにしてもすぐに結果が出ないと不安になり、無駄な努力をしているのではないかと考え、精神的に耐えきれなくなるというのがお決まりのパターンでした。
「あの時から筋トレを続けてればもう変わってたのかな?」などと後悔することも珍しくなく、自分の体型に対する吹っ切れない気持ちをずっと抱えていました。
体と心は一緒に成長する
そんな私が最後に考えたのが「とにかく1年は続けてみて、それでもダメだったら一生だらしない体でいよう」という諦めに近い決意でした。
というのも、それまでの私の筋トレ歴というのは長くても1〜2ヶ月程度というものばかりで、そのどれもが良い結果を残せずに終わっていたからです。
結果として、急がば回れ的なこのやり方は私にとって効果的だったようで、それまでで一番満足のいく結果を出すことが出来ました。
そして、目先の不安にとらわれず小さな努力を継続し結果を出すという経験は、確実に私の精神を成長させてくれました。
そしてその成長というものは、筋トレのように地味な努力を積み重ねていくことでしか達成できない目標に挑戦したからこそ得られたように思います。
筋トレで自分を変えたという人の話を聞くと「筋トレを始めてからいろんなことに怯まなくなった」と語る人は珍しくありません。
その理由というのは、体が大きくなり力負けする気がしなくなったなどの表面的な要素だけではなく、筋トレで培った見えない不安に打ち勝つ精神力というものも大きく関係しているのではないでしょうか。
筋トレを中心に生活が充実していくのが楽しい
肉体的にも精神的にも大きな変化をもたらす筋トレというのは、引きこもりだった私の生活を大きく一変させました。
好きな時に好きなものを好きなだけ食べていた不健康な食生活は、筋トレの効果を高めるため高タンパク・低脂質・低カロリーな食事を決まった時間に決まった分量だけ食べるアスリートのような食生活へ。
またしっかりと体力を使うことで疲れ切って眠る生活は、昼夜逆転生活を自然と治してくれました。
気持ちも前向きになってくると1日の行動量が増え、何事にも積極的に取り組む余裕が出来ました。この頃までは、まさか自分が友達を銭湯に誘って体を見せつける日が来るとは思いもしませんでした。
人生は筋トレ
そして一番の変化は、筋トレのためにアルバイトを始めたということでした。
筋トレを始めて生活が一変したことによって人並みの消費活動を行うようになり、またプロテインなどを含めた筋トレ用の食材・器具などを揃えるためにお金が必要になったからです。
紛れもない社会不適合者である私は久しぶりの社会復帰に怯えていましたが、ある程度の体力と精神力を取り戻していたおかげでなんとか自分を保つことが出来ました。
何よりも、もっとボディメイクを追求してみたいという気持ちが強く、その筋トレ欲は私を少しだけタフにしてくれました。私にとって筋トレとは、それほど生活に欠かせない存在となっていました。
ヒキニートが趣味を見つけてバイトを始めただけのことではありますが、この小さな成長というのは、私が初めて1回の懸垂に成功した時の成長と同じことなのだと思っています。
この成長を積み重ねていけば、懸垂が20回出来るようになったのと同様に、自分の人生をもっと豊かに出来るはずだと信じています。人生は筋トレなのだと思っています。